デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』読書会の記録

2024年から、デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウの『万物の黎明――人類史を根本からくつがえす』を読み進め、2026年4月12日に最終回を迎えました。全12章の要約と論点を分担して記録し、各回の議論を重ねながら、人類史を一直線の発展として見る考え方を問い直してきました。

二年をかけて全12章を読む

『万物の黎明』は、考古学、人類学、思想史を横断し、旧石器時代から近代までの事例を次々に取り上げます。一度読んだだけでは、個々の事例を追ううちに全体の筋を見失いかねません。そこで読書会では、まず本書の構成を大きく捉え、各章の細部を検討する方針を置きました。

序盤の第1章と第2章では、ホッブズとルソーに代表される人類史の神話と、北米先住民によるヨーロッパ社会への批判を読みました。第3章から第5章では、旧石器時代の季節的な社会と、人びとが周囲の集団との差異を意識的に作り出す「分裂生成」が扱われます。第6章と第7章は、農耕を一度きりの革命ではなく、長い実験として捉え直します。第8章と第9章では王のいない初期都市が、第10章では「国家」という概念そのものが検討されます。第11章で再び北米先住民の歴史へ戻り、第12章は自由と社会の自己創造という問いから全体を結び直します。

開催記録には、各章の要約、重要だと感じた箇所、疑問や反論、関連する書籍や遺跡の情報を残しました。本文から離れて、仕事、家族、教育、移動、地域社会について話したことも記録しています。全体の筋を一人で確定するのではなく、それぞれが異なる問いを持ち寄り、対話の中で読み方を更新する。この読み方は、本書の成り立ちとも重なります。『万物の黎明』自体が、人類学者と考古学者による十年以上の対話から生まれた共著でした。

グレーバーの三冊が剥がした「あたりまえ」

私たちはこれまで、グレーバーの『負債論』『ブルシット・ジョブ』を読んできました。『負債論』は「物々交換から貨幣が生まれた」という起源神話を問い直し、『ブルシット・ジョブ』は「働くことには、それ自体に価値がある」という近代の労働観を問い直しました。

『万物の黎明』が対象とするのは、人類史そのものです。狩猟採集から農耕へ、村落から都市へ、平等な小集団から階層的な国家へと進んできたという段階論を、考古学と人類学の研究から崩していきます。三冊に共通していたのは、現在の制度が「それ以外にはありえなかった」という感覚を剥がす作業でした。

これらの起源神話は、過去を説明するだけの無害な物語ではありません。現在の貨幣、労働、国家を長い発展の必然的な結果として見せ、それ以外の仕組みを想像しにくくします。三冊を読み継ぐことは、異なる領域を扱いながら繰り返される、この同じ問題を確かめる作業でもありました。

「不平等の起源」から「なぜ閉塞したのか」へ

本書の第1章には、「なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」という副題がついています。不平等の起源を問うとき、私たちはしばしば二つの物語のどちらかを選びます。

ルソーに由来する物語では、人類はかつて小さく平等な集団で暮らしていましたが、農耕、私有財産、都市、国家の出現とともに自由を失います。ホッブズに由来する物語では、人間はもともと利己的で暴力的であり、国家の強制力によって初めて安全と秩序を得ます。前者は文明を転落として、後者は文明を救済として描きますが、どちらも人類史を単純な一方向の変化として説明します。

グレーバーとウェングロウが考古学的証拠から描く社会は、この二択に収まりません。旧石器時代の人びとは、季節によって小規模な集団と大規模な集会を行き来し、異なる政治秩序のもとで暮らしていた可能性があります。一年のある時期には強い権威を認め、別の時期にはそれを解体する。社会的不平等が存在したか、しなかったかを固定的に分類するよりも、社会の形を変更できたことのほうが重要になります。

段階論の問題は、過去の社会を未発達な状態として扱い、そこで暮らした人びとの政治的な選択を見えなくすることにあります。本書に登場するのは、農耕を知りながら全面的には依存しなかった人びと、季節によって政治の仕組みを変えた人びと、大規模な都市を築きながら強い支配者を置かなかった人びとです。過去の社会は、現代へ向かう途中の段階ではなく、異なる制度を試し、採用し、ときには拒絶した社会として現れます。

そこで本書は、問いを「不平等はいつ始まったのか」から「人類はなぜ、社会の形を容易に変えられない状態に陥ったのか」へ移します。問題は不平等の最初の瞬間を特定することではなく、かつて行使されていた政治的な柔軟性が、どのように失われたかを考えることになります。

先住民による批判を啓蒙思想の歴史に戻す

本書が段階論を崩すために最初に向かうのは、先史時代ではなく、ヨーロッパ人と北米先住民が接触した17世紀です。ここで中心に置かれるのは、ウェンダットの政治家であり、すぐれた弁論家として記録されたカンディアロンクです。

フランスの宣教師や入植者が残した記録には、北米先住民の集会で公的な問題が開かれた場で議論され、強制よりも説得と合意が重視されていたことが書かれています。彼らはヨーロッパ社会を観察し、貧困、刑罰、財産、権力への服従を批判しました。とりわけ、富を他者に対する権力へ変えられることや、一部の人が困窮する一方で他の人が多くを所有することは、自由に反する仕組みとして捉えられました。

ここで議論されていたのは、抽象的な意味での平等だけではありません。誰もが命令に従うかどうかを自分で決められること、理にかなった議論によって合意を作ること、生活に必要なものを融通し合うことで他者への従属を避けることでした。相互扶助と個人の自由は対立するものではなく、互いを支えるものとして理解されます。

グレーバーとウェングロウは、この先住民による批判がヨーロッパの啓蒙思想に影響を与え、それへの反動として段階的な社会進化論が形作られたと論じます。この主張、とりわけカンディアロンクとフランス人ラオンタンの対話をどこまで本人の思想として読めるかについては批判があります。読書会でも、本書の解釈をそのまま確定した事実として受け入れるのではなく、資料と反論に開かれた仮説として読む必要があると考えました。

それでも、西洋の外にいた人びとを、歴史の進歩から取り残された存在や研究される対象としてではなく、ヨーロッパ社会を観察し、批判した知的な主体として捉えることには大きな意味があります。「現代思想」とされてきたものが、どこまでヨーロッパだけの成果だったのかという問いも生まれました。

農耕を一度きりの革命ではなく長い実験として読む

人類史の段階論を支える大きな転換点が「農耕革命」です。一般的な説明では、農耕によって余剰生産物と私有財産が生まれ、人口が増え、都市、階層、国家へと進みます。しかし本書では、植物の栽培と家畜化は数千年にわたる緩やかな過程として描かれます。人びとは狩猟、採集、漁労、栽培を組み合わせ、ときには農耕への依存を意識的に避けました。

ギョベクリ・テペでは、農耕へ全面的に移行する前の人びとが、大規模な石造建造物を築き、儀礼と共同作業のために集まっていたと考えられています。食料生産の発達が複雑な社会を生んだという順序だけでは説明できません。集まること、儀礼を行うこと、知識を共有することが先にあり、その活動が植物や環境との関わり方を変えた可能性があります。

本書はこの過程を、効率の最大化へ向けた直線的な発展ではなく、遊びと実験の蓄積として捉えます。植物の性質を観察し、特定の場所で育て、儀礼に用い、また放棄する。そうした知識の形成には、採集や加工を担った女性たちが大きな役割を果たした可能性も指摘されます。

この見方からは、新しい技術が社会を自動的に変えるわけではないことも分かります。どの技術を日常的に使い、どの技術を儀礼や限定的な用途にとどめるかは、集団による判断の対象でした。農耕を始めれば、私有財産と国家へ進むほかないという説明は、人びとが技術との関係を選んできた歴史を省いています。

王のいない都市と「規模」の問題

農耕の次に段階論を支えるのが、都市の出現です。人口が増え、社会が大きく複雑になれば、指導者、官僚、軍隊を備えた上意下達の統治が必要になる。この説明に対して、本書は「規模が大きくなれば階層化する」という前提を問い直します。

現在のウクライナ周辺で発掘された巨大集落、いわゆるメガサイトには、数千人が暮らしたと推定されるものがあります。住居は円環状に配置され、宮殿、王墓、恒常的な軍事施設、支配階級の存在を示す証拠はほとんど見つかっていません。本書は、世帯ごとの自律性と、集落全体で共有された構成原理を両立させる仕組みがあった可能性を読み取ります。余剰や富が存在しても、それを恒常的な支配へ転換させない方法が採られていたのではないかという解釈です。

初期メソポタミアの都市にも、最初から王がいたことを示す明確な証拠はありません。地域ごとの集会や評議が税、労働、外交に関わり、都市は一定の自治を保っていたと考えられます。メソアメリカのテオティワカンでは、モニュメント建設と強い支配者を中心とした政治から離れ、多数の住民のための集合住宅へ資源を振り向けた時期があったと本書は論じます。

これらの事例は、すべての初期都市が平等だったことを証明するものではありません。考古学的証拠から政治制度を復元することには限界があります。本書が示すのは、都市、王権、官僚制、階層化をひとまとまりの出来事として扱う必要はないということです。都市は国家の前段階であるだけでなく、異なる社会の形を大規模に試す場所でもありました。

「国家」を三つの支配形態に分解する

第10章では、「国家の起源」という問いそのものが検討されます。一定の領域内で合法的な暴力を独占する機関、支配階級が所有権を守るための装置、複雑な社会を調整する上意下達の組織など、国家には複数の定義があります。しかし、どの定義も人類史に現れた多様な政治体を一貫して説明することはできません。

そこで本書は、国家という単一のまとまりを探す代わりに、支配を三つの形態へ分けます。暴力を統制する主権的な力、情報を統制する官僚制的な力、特定の人物へ人を引きつけるカリスマ的な力です。歴史上の政治体は、これらを異なる比率で組み合わせてきました。強い王がいても官僚制が弱い社会、複雑な行政があっても暴力を独占する主権者がいない社会もあり得ます。

国家に唯一の起源があるのではなく、異なる支配の仕組みが、ある場所と時代で結びつき、持続するようになったと考える。この分解によって、都市が生まれれば国家が生まれるという段階論から離れ、どの支配が強まり、どの自由が失われたのかを具体的に問えるようになります。

分かりやすい歴史モデルをどう扱うか

読書会では、分かりやすい歴史モデルをどう扱うかも議論になりました。たとえば「四大文明」のようなモデルは、複雑な歴史を理解する入口になります。一方で、モデルに合わない事例を例外として退ければ、誤った理解が固定されます。反対に、前提となるモデルを共有せずに例外だけを語れば、別の説明が陰謀論のように聞こえる危険もあります。モデルがどのような意図と時代背景から作られたのかを含めて伝える必要がある。これは、本書の内容を未読の人にどう話すかという実践的な問題でもありました。

本書は従来の大きな物語を崩しますが、代わりに別の物語を無条件に信じればよいわけではありません。個々の事例には証拠の制約があり、著者たちの解釈に対する専門家からの批判もあります。重要なのは、ひとつの新しい物語を正解として置くことではなく、新しい証拠から解釈を組み立て、批判に開かれたまま考え続けることだと捉えました。

三つの自由と「逃げる」場所

本書の終盤では、人間の基本的な自由として、現在いる場所から移動する自由、他者の命令に従わない自由、新しい社会関係を作り出す自由が示されます。

これらは近代国家が法によって保障する権利としてではなく、人びとが長い歴史の中で実際に行使してきた自由として提示されます。争いが起きたときに別の共同体へ移る、権威者の命令を拒む、季節や状況に応じて政治の仕組みそのものを変更する。本書が描く人類史の多様性は、この三つの自由が実践された結果でもあります。

読書会で繰り返し話題になったのは、その中でも「逃げる自由」でした。高野秀行『イラク水滸伝』に描かれた湿地帯、山や島、神社仏閣、巡礼の道など、国家や市場の仕組みから一時的に距離を取り、暮らしを立て直せる場所について話しました。移動する意思だけでなく、移動した人を受け入れる場所や慣習があって初めて、逃げる自由は成り立ちます。

保護と閉鎖が表裏一体になることも議論しました。人を守る制度は必要ですが、その庇護から離れる道がなければ、制度は人を拘束するものにもなります。移動の自由は、移動を強いられることとも区別しなければなりません。安全に出発できること、移動先で迎えられること、必要であれば戻れることまで含めて、自由を支える条件を考える必要があります。三つの自由は抽象的な理念ではなく、現代の国家、家族、職場、教育を考えるための具体的な視点になりました。

読書会そのものを「生成歴史学」の実践にする

開催記録の最後に、私たちが掲げる「生成歴史学」と本書の関係を整理しました。

ひとつは、歴史そのものが生成的であるという見方です。歴史はあらかじめ決められた段階を進むのではなく、複数の可能性が開かれた状況での選択によって形作られてきました。ある制度が生まれた理由だけでなく、別の制度が選ばれなかった理由や、都市化、奴隷制、階層化が意識的に拒絶された可能性も考える。歴史の中にあった選択肢を復元することが、生成歴史学の仕事になります。

歴史を現在へ至る成功者の系譜として書けば、採用されなかった制度、放棄された都市、権力の集中を拒んだ社会は、失敗や例外として扱われます。しかし、都市生活や奴隷制が出現したことと同じ重さで、それらが拒絶されたことを扱えば、人類史の見え方は変わります。現在につながらなかった試みも、過去の人びとが行った政治的な判断として歴史へ戻す必要があります。

もうひとつは、歴史の語り方を生成的に開くことです。ひとつの正しい歴史を確定するのではなく、同じ証拠から複数の解釈を引き出し、対話を通して理解を更新する。各自が異なる角度から一冊の本を読み、疑問を持ち寄った二年間の読書会は、その実践になりました。完成した要約を共有するだけでなく、読み方が変わった過程や、結論に至らなかった問いも記録に残したことには、その意味がありました。

『植民地化の歴史』へ

本書はインダスや中国の初期都市にも触れますが、事例の多くはヨーロッパ、近東、南北アメリカから取られており、ユーラシア東部には、まだ検討すべき多くの地域が残っています。中国、東南アジア、日本、中央アジア、遊牧民の社会を同じ問いから読み直せば、どのような政治的な選択が見えてくるのか。これは、私たちが続けている読書会企画「東方へ」の課題になりました。

2026年からは、マルク・フェロー『植民地化の歴史』を読んでいます。非西洋社会が遅れていたのではなく、異なる選択をしていたのだとすれば、植民地化は、それらの選択肢を暴力的に閉ざす過程としても読めます。領域の画定、法と行政の導入、土地や労働の分類は、地域に存在した政治的な関係をどのように組み替えたのか。植民地化を領土の征服だけでなく、社会を作り替える自由の剥奪としても捉えられるのか。これが次の読書で確かめたいテーマです。

人類が作り得た社会の多様さを確認した後に、その多様さがどのように失われたのかを考える。『万物の黎明』で得た問いを携えて、「東方へ」の旅を続けます。

読書会の最後には、「希望を持った。しかし、どうすればいいのか」という感想が残りました。本書が示したのは完成した答えではなく、現在の制度や常識を、かつて誰かが選んだものとして見る視点です。選ばれたものであるなら、別の選択もあり得る。その可能性を歴史の中から探すことが、次の読書へつながっています。